やば。
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かりふらは避けた先で岩にあたってると思う。
「フジイ」がみっきーさんの言う外生的小市民を慰撫するという点は同意です。「フジイ」読者はマイノリティとか他の社会から排除された人ではなくて、会社員として組織の中にあって上手くいってないマス層=小市民?だろう。また外生的という点については、実際「フジイ」の感想に「自分の世界を持つこと」への共感的な読みや憧れが見られるので概ね同意(この点は『妹は知っている』あたりもそうで、これらは外生向けなんじゃないかな)。だが外生がとくに好む見方を型としてまとめるのは、一般化が過ぎる。「フジイ」の外生が没入するための要素って、没個性的な容姿だが自分の世界を持つ主人公、それを見出すことのできる他者(容姿が優れていて、外生にとっての上位存在であることが多い)がメイン。もちろんそれ以外の要素もあるが、重要なのはこの要素じゃないかな。
翻って「生活マン」は上の「フジイ」観とは異なる。生活マンの異質性に注目したほうがいい。この異質性は、読者を没入させるための「フジイ」的設計とはまた別のものじゃないのか。日常あるあるとして即物的な消費をする際に、異質性を挿入することで面白くするためのアイテムに過ぎない(断っておくと、面白くなってはいない)。もしくは、生活や人間関係のミニマムな部分自体に読者の関心を向けるために、主人公と読者の距離を大きくしている。つまりは生活マンみたいな胡乱な存在も生活を抱えているということに注目させたいのだ。
生活マンの異質性ゆえに第1話時点から①の消費は難しくなっている。②については「生活マンのすごさを俺だけが見出してるんだぜ」とは描かれていない。「(ヒーローとしての)生活マンを応援する」という、なんか別種の嫌なことじゃないかな。みっきーさんの言うとおり、特に後半はその傾向が強い。
>>12への反論としては、俺の「フジイ」類型は①、②型の消費者の存在を否定するわけではない。あくまで俺が言いたいのは「生活マン」は「フジイ」型消費のための設計にはなってないよねってこと。
ちなみに受容論に寄せても、やっぱり「生活マン」は「フジイ」と違う。「生活マン」にいる「フジイ」型消費者は、任意の漫画で没入型の読み方をするガチの味障読者たち。みっきーさんは「フジイ」に固執するあまり、存在しない敵と戦ってませんか?
一回「フジイ」のAmazonレビュー見てください。意見が自己没入に画一化されていて、恐怖すら感じる。「生活マン」のコメント欄(Amazonレビューは数が少ないので当てにならないが同じ)は、生活あるあるやキャラの機微への共感(💩)とかヒーロー像への感想とか様々な意見に開かれていますよ。